「TOSHI」としてスイスに生まれ ー 。 | Vol.11

 この一件は私に多くの事を教えてくれた。今となっては何事もなく順調に労働ビザが所得できたよりも、悪戦苦闘してようやく手にした事の方が何百倍も良かったと思っている。
よく講習会などで地方へ行くと「東京と違って客のレベルが低いから」とか「東京に比べて遅れているから」という洋菓子店のシェフの声を聴くことがある。これは違うと思う。レベルが低いとか遅れているとかいうのではなく、「文化が違う」のであり「環境が違う」のである。こういった事をふまえてレベルを落とすのでもなく、ポリシーを曲げるのでもなく、現地の文化に融合させる大事さを学んだ。日本を出る前にフランス経験のある先輩からこう言われた事がある。「順調にヨーロッパ修行を終えた奴より、のたうち回った奴のほうが帰国後は強い!」この後、8年間通して感じたことだが、今の日本の洋菓子レベルは決してヨーロッパに劣るものではない。結局ヨーロッパ帰りのPATISSIERで伸びている人が多いのは日本にいる以上にいろんな意味で打たれているからだろう。ヨーロッパでは日本人が存在する事すら難しいのだ。いままで日本にいる時には日本という国にしっかりと守られていたのである。それが当たり前のように、その事すら感じていなかった。病気になれば直ぐ病院に行き、何かあれば警察が守ってくれ、家族がいて友人がいて。「自国を愛せない人間は他国も愛せない。」スイスにいた時に知り合った民族学者の知人の言葉が忘れられない。私は8年間ヨーロッパで過ごして、ヨーロッパの良さももちろん分かったが、日本の良さも初めて理解した。私はスイスをはじめヨーロッパが大好きであると共に、右翼でも軍国主義者でも決してないがはっきりと「愛国主義者」である。
 スイスに残れるようにはなったが、労働ビザの手続きの為、一旦帰国する事になった。エルマティンガー氏は労働ビザを取れるように最善の努力をする事を約束してくれたが同時に「100%ではない、可能性は60%くらいだろう。」という事を私に宣言した。私は誰にもこの事は話さなかった。師匠、親、兄弟、友人。全ての人にただ「労働ビザの申請の為、帰国した。」としか話さなかった。
こうなっては彼を信用するしかない。帰国して2週間後、彼から電話がかかってきた。「TOSHI、労働ビザが取れた!」エルマティンガー氏の言葉に嬉しいというよりも体中の血液が沸き立つのを感じた。直ぐにステファンに電話した。ステファンも電話の向こうで興奮している。「TOSHI、本当に良かった。いつ帰ってくる?」  
 日本滞在は一ヶ月でまたスイスに戻った。今度はステファンとケーキ部門のシェフ、サンドラが空港まで迎えにきてくれていた。早速、店に行くと、嬉しそうにエルマティンガー氏が労働ビザを取るのにどれだけ大変だったかを説明してくれた。マヤもアンニャもそしてスタッフも私が労働ビザを所得して残ることを心から祝福してくれた。その日はステファンの実家でパーティーとなった。私の大好物、チーズフォンデューを用意してくれていた。何種類ものチーズをブレンドしたマルリーズ自慢のフォンデュー、ステファン得意のニンジンのサラダ、ハンズの焼いてくれたソーセージ、そしてシャッハウゼンの地ビール、ファルケンが最高に旨かった。