「TOSHI」としてスイスに生まれ ー 。 | Vol.28

フランスへの夢は当初からマンフレッドには話していたので快く承諾してくれた。早速フランスとベルギーのリッチモンドクラブに声をかけてくれたが良い返事は帰って来なかった。
もちろんアンナミューレでの仕事はしっかりとこなしながらフランス、ベルギーへの道を模索した。そんな或る日、可愛がってもらっていた日本のショコラティエの社長から連絡が入った。ベルギーの ショコラティエで何とか働けそうとの事だった。フランスで働きたいとは思っていたがベルギーにも興味を持っていた。とくに今回はショコラティエという事に心ときめいた。主にスイスでパンと焼き菓子、オーストリアで生地をベースにした伝統的ウィーン菓子とマジパン細工、これからベルギーでショコラ、最後にフランスで繊細なデコレーションに最新ガトー、そしてアメ細工を主としたコンクールに挑戦!悪くないプランである。マンフレッドやシュナイダー氏、ヘートナー氏に友人のカール、皆「寂しくなるね。」と気遣ってくれながらも賛成してくれた。移動は店が落ち着き始める4月に決めた。それまではフランス語の勉強?いやいやお世話になった方々にせめてもの御恩返し。出発の日までは目一杯“Back haus Anna Muhle”の一員として頑張ろう!。
 結局、オーストリアを発ちベルギーに行くまでに二ヶ月間パリでフランス語を学ぶ事にした。スイスに入る時は全くドイツ語を勉強せずに来てしまい、着てからも全くの独学で学んだ為、修得にかなりの時間がかかってしまった。今回は先にフランス語を何とかものにしようと言う魂胆だ。それに理由はもう一つ。人生何があるか分からない。ここでパリを通過してしまえば二度とパリに住むチャンスは巡って来ないかもしれない。南仏やブルゴーニュやアルザス・・、働いてみたい街は一杯あるがパリだけは絶対に外せない。どうせ語学学校に通うなら大好きなパリで!。早速パリの語学学校の資料を取り寄せその中からリーズナブルで信用もおける“アリアランス・フランセーズ”に入学し宿も学校の紹介でホームステイする事に決めた。パリの一般家庭に入って寝食を共にするのも良い経験になるであろう。出発の日までオーストリアでやり残す事のないよう精一杯頑張ろうと思った。
また、遊びに来る事はあってもこの地で生活する事は二度と無いであろう。「まだまだ日がある」なんて思っていると、あっという間にその日はやって来た。三日前、仲間達が送別会をお気に入りのホイリゲでひらいてくれた。大好きな白ワインと料理とそして何よりも大好きな仲間達との夜は、この出会いを演出してくれた神様に感謝の祈りを捧げずにはいられない一夜であった。出発の日、マンフレッドが皆を代表してプレゼントをくれた。全パティシエの写真が入ったトレーナーに、全販売スタッフの写真が入ったかばん。僕には何にもまして嬉しい贈り物であった。マンフレッドがウィーンの駅まで車で送ってくれた。「幸運を祈っている。困った事があったらいつでも戻ってくればいい。」しっかりと握手しながらマンフレッドは言った。「また遊びにくる。ありがとう!」手を強く握り返しながら答えた。パリ、そしてベルギーでの修行が上手くいけばまた必ず会いに戻るであろう。困ったことに直面して戻って来るという事は絶対しない。夜行列車のクシェットの二段ベッドの上に体を横たえると万感の想いが込み上げてきた。仲間達の事やスイス、オーストリアでの三年間。そして目覚めると辿り着いているであろう憧れの都“パリ”の事。