「TOSHI」としてスイスに生まれ ー 。 | Vol.32

「Jean luc pele」での一日はあっというまに過ぎ去った。次から次へと仕上げられていくGateauxの繊細さは今までのヨーロッパ修行の中で初めての経験であった。仕事が終わるとオリビエは私に「明日から働いてくれ。」と人懐っこい笑顔で告げた。事情を聞くとシェフは別の場所にいてこのベルサイユの店はオリビエが任されているのだった。こんなにすんなりと働かせてもらえるとは思ってもいなかった私は明日「Stohrer」に面接に行く約束をしている事、そしてこの店が大好きであることを説明して面接の後に、もう一度この店にくる事を約束した。断言はしなかったが心の中ではこの店に決めた。ホームステイ先に戻った私は昨晩までベルギーの店に対して失望したり憤慨した事などすっかり頭から消え去り、新しいチャンスに巡りあえた喜びと、国と言葉は違えど誠意と真心は必ず通じる事に気持ちは満たされた。
モンサンミッシェル ~雨の朝~
モンサンミッシェル ~雨の朝~
 翌日、まずベルサイユでOKをもらった事から心にゆとりをもってパリの「Stohrer」に向かう事が出来た。シェフであるチェリー・ギオム氏が出てきて昨日と同じように「まずは一日働いてから話をしよう。」と言われたときも驚く事なく自信をもって「oui!(はい!)」と答える事ができた。「今日は一体何をさせられるのか?」と身構える私にシェフは「もう直ぐ始まるサッカーのクープ・ド・モンド(ワールドカップ)のピエス(大型の飾り用細工菓子)を作っているんだがパステヤージュ(粉糖とゼラチンと水を練り合わせたもので粘土状だが乾くと固まる)で土台の部分を作ってくれ。」と言った。「どんなものを作りますか?」と訪ねた私に簡単なデッサンを書いて見せ「後は好きに作りなさい。」と答えた。パステヤージュは日本のホテルに勤務していた頃、最も得意としていた分野だ。
 早速生地を練り始めた。通常は生地を作ってしばらく休ませ、しめるのだがそんな時間はない。水を少なめにして硬い生地を作った。次にケーキの底台紙をShopから貰ってきて奇妙な雲形に切った。カッチリとした形より面白みを出すためだ。早速、生地を麺棒で薄く延ばし厚さが2mm位になると、さっき作った型紙を使ってカッターナイフで生地を同じ大きさに切っていく。切り終わるとこれを静かに木の板に並べて乾燥させる。なんといっても早く丁寧に切らなければいけない。もたもたしていると生地が乾燥してきて割れてしまう。また丁寧に切らなければ切断面が汚くなる。そうなると台無しだ。この細工は薄く同じものが綺麗に並んでいる事によって初めて美しさが映える。木に並べ終わると、隣で何も言わず作業をしていたシェフが言った。「乾くまでの間、飴でバラを引いてくれ。」先程作ったパーツは乾かさないと使えない為、組み立ては明日の仕事となる。
モンサンミッシェル ~夕暮れ~
モンサンミッシェル ~夕暮れ~
 今度は銅鍋に砂糖と水と水あめをいれ炊いて行く。水は最初スイス、ウィーンでは苦労したがパリの水は?。万国共通のミネラルウォーターを使おうかと思ったが「水は?」の私の問いかけにシェフは不思議そうに水道を指差した。「何とかなる。」自分に言い聞かせると蛇口をひねった。「これを使え!」と渡されたものを良く見るとクレムタータだ。酸を結晶化防止の為入れるのだが私は日本からもってきた酒石酸をいつも使っていた。だがさすがに初日に飴を引かされるとは思いもよらず今日は持参してない。一瞬「しまった!」と後悔したが「Oui!」と何食わぬ顔でそれを使い炊いて行く。「大丈夫何とかなる。」いつもの糞度胸が湧いてきた。少し低温で色着いたが問題なく炊け、飴のバラは完成した。初めての環境でおまけに久々だったので完璧には程遠い出来だがまぁ及第点だろう。仕事が終わりシェフに呼び出され着いて行くとシェフが言った。
「明日から働いてくれ」
「えええええ~。なんてこった~」顔にはもちろんださないが心は揺れ動く。