「TOSHI」としてスイスに生まれ ー 。 | Vol.35

 Stohrer(ストーラー)で働くようになって、最初に担当したのはCanneler(カヌレ)である。日本でも一時大ブレークしたので御存知の方も多い事だろう。日本でカヌレがブレークしたのは私がスイスにいた時である。日本でカヌレ型が手に入らなくなりスイスの私のところにも問合せが殺到した。「スイスで買って送ってくれ」と言うのだ。「カヌレはフランス菓子なのでスイスでは売っていない」と答えると「同じヨーロッパやからあるやろう?」という返事!。これでは日本人も中国人も韓国人も皆一緒と思っている若いヨーロピアンの事を馬鹿に出来ない。ちなみにそういったヨーロピアンは必ず日本人は全員、空手か柔道をやっていると思っている。
ストーラーのショーケース
ストーラーのショーケース
 他の仕事ではCreme patissiere(カスタードクリーム)炊きである。このクリームは菓子屋にとって特に大事で、Stohrerでも核となるクリームである。もちろん日本にいる時から炊いているが、その量が半端じゃない。大きな寸胴で牛乳の量で14リットル位一度に炊く。卵や砂糖など入れると総重量は24kg位になる。これをホイッパーで常時焦げないように混ぜ続けて炊くのである。一度でもこのクリームを作った事のある人にはその大変さが解るであろう。後の話となるがNoel(クリスマス)には14リットルを一日6回戦炊いた。約140kg!手伝ってもらいながらではあるが腕はパンパンである。
 以前にも少しふれたがフランスでの生活にも少しずつ慣れてきた頃、私にとってヨーロッパ生活で、というよりも今までの人生で唯一、落ち込んだ時期を過ごした。その時支えてくれたのが親友の鈴木真一でありLutece langue(リュテス ラング)のエリコさんを始めた仲間である。仲間に感謝、そして今となっては自分自身に頑張ったと褒めてあげたい。毎日Stohereで精一杯仕事をした後、直ぐにモンパルナスタワー地下にあるプールでヘトヘトになるまで泳ぎ、学食で飯を食い、その後ポンピドーセンターの図書館で閉館までフランス語の勉強をして、ようやく帰宅した。
燃える命の太陽
燃える命の太陽
帰宅するなりワインを一杯飲む。もう目が開いている事も出来ない位、疲れ果てさせて毎日眠った。一人でいる事をなくし頭の中でそして心の中で考えるという余裕を全く自分に持たせないようにした。そういった生活の中、街は徐々に狂喜の波に飲み込まれていく。サッカー・ワールド・カップフランス大会である。初めての地元開催となったフランスは予選リーグを突破してパラグアイを延長の末破りイタリア戦では接戦をPKでの勝利。この辺りからParis中が異様な空気に包まれていく。準決勝でクロアチアを接戦の末下し、遂にクライマックス、決勝戦で英雄、ジダンの2発でブラジルを撃破した。ゲームセットの瞬間から喜びが爆発しシャンゼリゼ通りには第二次世界大戦戦勝祝い以来と言われる約20万人が繰り出しての一大フェスティバルとなった。私も必然的にこの渦中に巻き込まれてゆく。夢の都Parisでの思いもよらぬ打撃、そして想像を絶する人々の歓喜。極限まで神経をすり減らしている最中の陶酔境。暗闇の中からいきなり万華鏡の中に入り込んだような一夜に戸惑いながらも再び光源に向かって歩く決意をする。