ベルギーに着いた翌日から早速、レストランBruneauの一員として働きだした。仕事は大雑把にいうと三種類であった。パン、ミナルディーズ(コーヒー、紅茶と共に供する小菓子)、デザートである。パンは通常、食事と共に出すのが3種類。フローマージュの時に出すものが2種類。デザートやキャビアと共にサービスするブリオッシュが1種類の計6種類作っていた。パンは発酵をあまりとらない重めの物であった。
店前でおやじと共に |
在欧中に聴いた話では自店でパンを作っている事が三ツ星の最低条件の一つであると言う。二ツ星を獲得した時点で店を全面改装して食器、テーブルクロスなど全てを新調し三ツ星獲得に向かう。相撲の世界などと同じで昇進のタイミングがあり、勢いのあるチャンスの時期を逃すと三ツ星は遥か遠のいてしまう。料理やサービス、内装などの基準をクリアしてミシュランは自らが調査員である事を明かし、厨房内のチェックに入る。そして全ての条件を満たした時、三ツ星の栄誉が与えられる。日本と違いミシェランの権威は絶大である。ミシェランの他に、ゴーミョ(GaultMillau)と言うレストランの評価本がある。こちらは三つの星評価ではなく、20点満点で評価されBruneauは当時ベルギーでは最高評価を受けていた。どちらかと言えばミシェランのほうがメジャーだがヨーロッパでは双璧である。最近出版されたミシェラン東京を非難する気はないが何分歴史が違う。ヨーロッパでは100年以上の実績のあるミシェランは絶対である。もちろんミシェランの評価は信頼されるが個々がレストランの評価を決めるのがヨーロッパである。それにレストランのオーナーの全てが星を狙うという訳ではない。星を狙うには設備や人件費などコストがかかる為、あえて庶民的なレストランを目指し利益を上げている店も多い。もちろん星を狙ったからと言って星は容易に手に入るものではない。ちなみにフランスやベルギーでは通称「星(Etoile)」とは呼ばずに「マカロン」と呼ぶ。よく見ればなるほどミシェランガイドには星と言うよりもハナマルのようなマークが付いておりこれを彼らはマカロンと呼ぶ。
バレンタイン用アメ細工 |
働きだしてからはいつもの様に徐所にむきになり、より良きと信じる方向に改革していくのだが最初は「郷に入れば郷に従え」。三ツ星レストランのシステムを少しでも早く覚えようと素直に職場になれ親しんでいった。一つ今までと全く違った事、それは料理は決して手伝わなかった事である。自分で言うのもなんだが在欧中Gentil(親切)とよく言われた私、そしてなんにでも貪欲に興味を示す私には折角の三ツ星の料理を学ぶというチャンスなのに珍しい事であるがこの店で働いた二年半、一切料理の手伝いはしなかった(店内では)。全員が料理人という中で便利な人間にはなりたく無かった。料理人の中でPatissierという存在を確立したかった。初日から何か本能的に「例え全員を敵に回しても俺はPatissierとしてこのBruneauで勝負してやるんだ」という気概が芽生えていた。後から思えば、これが無ければ一研修生として半年でこの店を去る事になっていたように思う。少しずつ理解していった事だがこの店の一番の古株、Froid(フロア)と呼ばれる冷製の料理を全て取り扱う部門のChefであるジョン・フランソワがデセール部門をも統括していた。彼は15年以上もBruneauの冷製部門一筋で信頼のできる腕の良い料理人であったがその反面、変化を嫌う頑固な職人の一面を持ち合わせていた。これがBruneauのChef Patissierが長続きしない要因の大きな一つとなっていた。彼とはこの後、信頼しあい、よく喧嘩をし、よく飲みに行き、頻繁に揉め事を起こしつつも仲悪くそして仲良く付き合っていく事となる。
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