翌日の昼休みに店の前の公衆電話からパリの青木貞治氏に電話をした。
不安になった私は親父に再度、聞いてみた。その返答は「ビザは取る。」その一言だけであった。一旦は安心をした。ところがその後、引き続き二週間待っても何の音沙汰も無い。普通労働ビザを所得するには色々な書類を準備しなければいけないはずだ。何度も「一旦、信用すると決めたら腹を括れ!」と自分自身を叱咤したが不安の虫は定期的に押し寄せてくる。思い切って親父に再度直談判に行った。 「貴方は労働ビザを取ってくれると言った。そして一か月待ったが何の進展も無いように思える。貴方は本当に申請の手続きをしてくれているのか?」前の晩に間違えの無いよう、辞書で調べたセリフはきっと私には珍しく攻撃的なものであったように思う。 親父はまたもやたったの一言で決めた。 「労働ビザは取ると言っただろう。」怒っている訳でも諭している風でもなかった。「俺はやると言ったら必ずやる男だ。」という自信が多くは語らないだけにより一層体から発散されていた。私は「すみませんでした。」と一言だけ残しすごすごと部屋を出た。 二日後、ランチの営業が終わった後、親父が一人の恰幅の良い初老の男性を厨房に連れてやってきた。握手の後、彼はおもむろに言った。「労働ビザは必ず取ってあげるから安心しなさい。」一瞬なんの事か理解出来なかったが、隣にいる親父の満足気な笑顔に私の顔も心もほころんだ。その男性は別れ際に私の肩を強く握りしめて出て行った。親父は相変わらず一言も発する事なく去った。
「誰、今の人?」フィリップの態度から何か特別な物を感じていた。彼は言った。 「労働大臣さ。」 先日、今もベルギーに住む日本人の友人が訪ねて来て私に語った。「トシさんの労働ビザを取るのは大変だったらしいよ。最終的には労働大臣の尽力があったから取れたと今でもBruneauは言ってるよ。」親父は私には何も語らない。 翌日、ランチが終わり後片付けをしていると事務のおばさんから電話がかかっていると呼び出された。「誰だろう?」滅多に私宛の電話が店にかかる事は無い。電話の声は聞き覚えのない声であった。 「日本大使館のものですが、今後私共も鎧塚さんの労働ビザ所得に関しましてお手伝いさせて頂きますのでご安心を。Bruneau氏から貴方が心配しているので安心させて欲しいと言われたものですから。Bruneau氏は色々と手を尽くしておられるので心配される事は何も無いですよ。」私は涙が出そうになるくらい嬉しかった。すぐに親父の部屋に走った。労働大臣の事、日本大使館の事、拙いフランス語で精一杯お礼を言った。親父は恥ずかしそうに、そして少し邪魔くさそうに微笑んだ。今度も一言も発し無かった。 |