「TOSHI」としてスイスに生まれ ー 。 | Vol.6

 早速、次の日から現場に入って働きだした。職場は4つのパートに分かれていた。まず、ショップの後にある、パンの厨房。その奥に焼き菓子やサンドウィッチ等を作る厨房。その横に独立して、生ケーキを作る厨房。そして2階にはショコラの厨房。生ケーキの厨房とショコラの厨房だけに冷房の設備があり、その他にはショップにも冷房の設備はなかった。日本人には意外だがヨーロッパでは普通である。一般家庭にクーラーはない。まずは生菓子のパートに配属された。出勤は5時。最初に店のケーキを仕上げていき、出来次第店に並べていく。オープンは何時かというと、なんと6時!この店もそうだがヨーロッパの店はパンと洋菓子、両方やっている店がほとんどだ。店によってはこれに惣菜もやっている。ちなみにツッカーベッカライというのはフランス語のブーランジェ・パティスリーにあたり(パンとケーキ屋)という意味だ。6時から客がくるのか?と思いきや、わんさかくる。この時間帯はさすがにパンの客が多いがケーキも売れていく。店のケーキの仕上げが終わると卸し用のケーキを仕上げていく。エルデベーレントルテ(苺のケーキ)、ルューブリートルテ(人参のケーキ)、クアルクトルテ(レアチーズケーキ)、クレムシュニッテン(ミルフィーユ)、ザッハトルテ、オブストトルテ(フルーツケーキ)などなど。8時頃エルマティンガー氏が配達に行こうと誘ってくれた。普段は配達のおじさんが行くのだが、今日は特別私を連れて行く為に自ら配達。町の中心部を離れ7~8分程度車で走ると、その圧倒的な雄姿が現れた。ヨーロッパ随一といわれるラインフォール、ラインの滝だ。全く予備知識のなかった私はその眼前の景色に圧倒された。巾150m、高さは25mしかないもののその水量でヨーロッパ一を誇る。もともとシャッフハウゼンはボーデン湖からライン川を下ってきた船が、このラインフォールの為に、一旦荷揚げして滝下の船に積みなおす作業の為に発展した町でもあるそうだ。そのラインフォールの真横にあるカフェ・レストランとホテルにケーキとパンを卸していた。大喜びした私に彼は次の日も、その次の日も配達に連れていってくれた。
現場で働きだしてみて初めて重大なことに気がついた。
エルマティンガーファミリーは、アンニャを除いて全員英語が堪能だったが、それ以外ケーキ部門のシェフと2号店の責任者が話せるだけ。後は全員、ドイツ語。エルマティンガー氏に言われ、英語の勉強をしていた私は全くドイツ語の勉強をしていなかった!すぐに日本に連絡してドイツ語の辞書、教材を送ってもらうように手配した。「これは困った。」と思っている時に助けてくれたのがエルマティンガーの2号店にあたる「TOBIAS SUNDAY BOX」の店長、英語の堪能なステファンだった。
スイスについて3日目の事、仕事が終わって帰ろうとするとステファンから「仕事が終わってからライン川で毎日、皆で泳いでいるんだけどTOSHIもこないか?」と誘われた。スタッフは朝が早いぶん、この時期午後3時位には仕事が終わっていた。日本で毎日深夜まで働いていた私にとっては夢のような事だ。言葉が通じないので少し躊躇したが、行く約束をした。部屋で着替えて聞いていた場所へ行くと、6人のスタッフが川原に水着姿で盛り上がっている。遠目でそれを見るとすると流石に怖気づいた。情けないことに気がつくと木の陰に隠れている。今なら誰も気づいていないので引き返せる。
「何してんねん、何の為にわざわざヨーロッパまで来てんや!こんな事でビビってどうすんねん!」
自分自身に怒鳴りつけると笑顔で仲間のもとに小走りに駆けた。
「グリュツィ!(こんにちは)」覚えたてのスイス語を叫んだ。