私には荷物と言うものがほとんどありませんでした。ヨーロッパでの七年半の放浪の癖でしょうか。物を持つと執着が湧き機動力も鈍る為、基本的には両手と背中に背負える以外には荷物を持たないようにしていました。例外は製菓本くらいのもの。
そんなある日「トシさん、いつも靴綺麗ですね。お好きなんですか?」 とお声掛け下さったのが鶴太郎さまです。 「そんなにいいものは持っていないのですが大好きなんです」と答えると。 「丁度良かった。何かお祝いにと思っていたのですが、靴を差し上げます。腕の良い靴職人を存じ上げておりますので」 これは嬉しかった。早速お勧めの靴職人の方を紹介して下さいました。喜び勇んでアポを取り出かけました。超高級靴店なので立派なスーツに身を包んでお出迎えかと思いきや靴墨で汚れきった前掛けをした誠実そうな方がにっこりと笑ってお出迎え下さいました。この方が密本さんと仰いその瞬間から密本さんとその靴の大ファンになってしまいました。慎重に足のサイズを測ってくださり、型、色とそれぞれ相談しながら自分だけの靴を決めていきます。靴好きにはこれほどの至福の時はございません!。密本さんと話していると靴と菓子、まるで別物のようですが職人として同じ志のような物を僭越ですが感じられとても嬉しい気分になりました。多分、鶴太郎さんも密本さんに対して同じ職人魂を感じておられる事でしょう。随分と迷ったのですがフォーマルにもカジュアルにも対応できる穴飾りを入れた靴にしました。直ぐには出来上がってこないのですがこの待つというのは何とももどかしいような嬉しいような複雑且つ楽しい時間なのであります。とはいえ居ても立っても居られず予定日の二日前に店を覗きに参りました。密本さんは微笑むと奥から「出来てます!」と芸術品のような渋いボルドーカラーの靴をお持ちなりました。その靴のなんと美しい事か!。直ぐに鶴太郎さんにお礼のお電話をした後うるさい程に写真を撮って鶴太郎さんにメールしてしまいました。その後三日間は子供のように頂いた靴と一緒に寝起きしました。
|