初日
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初日
迎えに来てくれたマンフレッドとドイツ語で初対面の挨拶を交わすと、彼は新車のメルセデスにエスコートしてくれた。「美しい車ですね。」と褒めると素直に「買ったばかりなんだ。」と嬉しそうに答えた。年のころは30歳位、とても人が良く、頭の回転も速い。
「由緒ある菓子屋に生まれた何代目かのエリート長男」といった第一印象であった。

店の上の仮住い

駅からはほんの2-3分で店に着いた。閉店後のサロンに案内されると直ぐにオーナー夫妻が見えられた。マダムはとても温和な人柄で遠方から来た私を労ってくれた。オーナーであるOtmar・Schneider氏は口数がとても少なく「頑固な職人」を連想させた。暫くすると夕食を運んで来てくれた。私の方はこんな時、出されれば喜んで食べ、出なければ我慢できるよう、お腹を調整していた。ひょっとしたらご馳走を用意して待って下さっているかもしれないし、夕食の用意はなく、おまけに近所には店など一軒もない事もヨーロッパでは十分に考えられた。オーストリアにきて最初のディナーはSchinkentoast(温かいハムサンド)とGulaschsuppe(パプリカと牛肉のスープ)だった。両方ともこの後、頻繁に口にする料理となった。スイスでは必ずと言っていいほど、まずはサラダを食べてメインディシュだったのに比べ、オーストリアではスープを食べてメインディシュとなる。そのためスープに名物料理が多い。Fritattesuppe(細切クレープ入スープ)、Nudelsuppe(麺入りスープ)、Gemusesuppe(野菜スープ)、Leberknodelsuppe(レバー団子入りスープ)等、オーストリア人はスープが大好きである。軽食の時はスープとパンだけとなる。ちなみフランスでは一般にメインディシュを食べて、その後フロマージュ(チーズ)となる。
食事の後、店の上の部屋に案内された。エルマティンガーの時と同じである。慣れて部屋を何処かに借りるまで此処がマイルームとなるのであろう。8畳一間のワンルームで一人では十分である。いつから働くかと聞かれ、もちろん「明日から!」と答えた。
翌朝、5時半にサロンに行くともうマダムが仕事を始めていた。
焼きたてのパンとMelange(カプチーノ)の朝食を食べて職場に行くともうパン厨房はフル回転していた。マンフレッドもその中に混じって汗濡れになってパンを焼いている。目聡く私を見つけたマンフレッドはスタッフ一同に私を紹介してくれた。スイスでもそうであったがこの店でも日本人は初めてで皆、興味津々である。スイスではパン厨房に入ったがこの店では迷わずコンディトライ(菓子製造)に入った。厨房でのドイツ語はほとんど理解できるようになっていた私は初日からどんどん仕事を盗んでいった。よく私が若い頃は(あー、嫌なフレーズを言うようになった。)仕事を盗むという言葉を使った。残念ながら帰国してみれば死語になっていた。職人というものはお互いに切磋琢磨して磨き上げていくもの、決して待って自然と付着させていくものでない。もちろんそこには人としての礼儀が一番大切なのは言うには及ばない。まず一番に飛びついたのがApfelstrudel。リンゴを薄い生地で巻いていく伝統的なウィーン菓子だ。とにかく薄く大きく伸ばしていくのがポイント。ところがこれが難しい。何とか薄くはなるものの全体が均等に薄く延ばすのが難しい。パイ生地やタルト生地のように麺棒で伸ばしていくのではなく持ち上げて回しながら重量の力を借りて伸ばしていく。横では熟練した職人が慣れた手つきで伸ばしている。
「クソー、俺にはなぜ出来ない!!」

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