TOSHIとしてスイスに生まれ
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Patissierとして
私がレストランのPatissierとして先ず自分自身でやらないといけないと決意した事は、今まで培ってきたPatissierとしての概念を覆し一からやり直す事であった。菓子職人はどうしても仕込み仕事をしたがる。特に日本人の菓子職人は元来、生真面目なところがあり、準備を万全にしたがる傾向がある。極端な例を言えば、仕込んでおいたムースを皿に置き、アイスとフルーツをのせ、作っておいたソースをまけばデザートになる的な大宴会のような仕事であればレストランで働く意味はない。
ミスを恐れるまじめな菓子職人は皿の上の主役達の姿がある程度見えていないと不安なのである。その代りお洒落なパーツをいっぱい準備しておいて失敗しないように、バタバタしない様に、華やかに見えるように盛り付けていく。本当にこれでいいのであろうか。在欧が6年目に突入した私もまだその典型的な菓子職人であった。
ミスを恐れるまじめな菓子職人は皿の上の主役達の姿がある程度見えていないと不安なのである。その代りお洒落なパーツをいっぱい準備しておいて失敗しないように、バタバタしない様に、華やかに見えるように盛り付けていく。本当にこれでいいのであろうか。在欧が6年目に突入した私もまだその典型的な菓子職人であった。
店に置くなり売れたpaque用ショコラ
技術がどんどん身についていっても根本的な身に付いた枠は変わるものではない。すぐれた料理人はあくまでもア・ラ・ミニッツにこだわる。一切なにも準備をせずに、お客様の注文が入ってから一気に料理を作り上げていく事がBESTという事である。もちろん下準備が必要な食材もあるし、長時間煮たり焼いたりする調理法もあるが、要するに作業性を最重要視するのではなく、「一番美味しい状態で提供することを何よりも大切に考える」という事である。当初、毎日料理出しの時間になると、怒号が飛び交い戦場と化す厨房を「準備を万全にしてなんとかもう少しスムーズに行くように改良できないのか?」と疑問に感じながら見ていたが、徐々に料理の醍醐味と料理人の心意気に感動するようになってきた。お客様が席につきアペリティフを飲みながら料理とワインを選び、三ツ星の雰囲気とワインに気持ちがほころんできた頃になると親父(Bruneau氏)は常にピアノ(コンロ)の前に仁王立ちして大声で指示を出しながら阿修羅のように料理をする姿を目の当たりにして「よし!俺ももう一度、今まで作り上げてきた殻を思い切ってブチ破ってこのレストランで戦ってやろう!」と決意した。Chef de cuisinier(料理長であり店としてはBuruneau氏についで二番手の存在)のフィリップは最後の料理が出終わるとデシャップに両手をついて精根尽きたが如くほうけている事が多かった。普通はChefには手は挙げないものだが親父はフィリップにも容赦なかった。親父以下順番に横並びにピアノで料理をするがフィリップが殴られ蹲り戦線離脱すると三番手がフィリップを跨いでそのポジションに立ち一つずつポジションがずれて何事もなかったの様に仕事は続けられ、フィリップが復活すれば又、もとに戻って料理は止まる事がなくサービスされ続けた。
フィリップとオリビエとピアノ前にて
気合の入った私は、今まで以上にデザートに熱が籠った。もちろんレストランBruneauのデザートの良い所は吸収、学習した。そして自分なりに勉強もしてデザートをもっと良くしていこうと動きだした。ここで問題となってきたのがFroidのChefジョン・フランソワである。15年以上もBruneauのデザートも見てきた。いつからデザートも統括するような状態になったのかは定かでは無いが、得体の知れない日本人が来て急にデザートを変えようとするのである。納得出来ないのは当然である。彼の立場はよく理解出来るので、ゴリ押しする様な事はせず、誰が聞いても正しいと思えるような事をまず変えていこうとしたがそれでも一々反対してくる。何故変えるか理路整然と説明すればするほど従来のやり方を非難する事になる。「絶対にブチ切れても、あきらめても駄目だ。理はこちらにある」自分に言い聞かせた。しかし理だけで押しても駄目である。なんの為のヨーロッパ修行か?今まで自分がここまでやってこれたのは理があったからではなく、人々の情に助けられてきたからである。