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須坂市の皆様
ありがとうございます!
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先日「須坂フルーツスイーツ王国フォーラム」というイベントのゲストとして長野県須坂市に行ってまいりました。須坂市というのは長野県北部にあり、各種葡萄や林檎、プルーンの産地として有名な町であります。
りんご畑にて
普段はあまり店から離れたがらない私ですが果物の町としての有名な須坂のフルーツスイーツイベントという事であれば行かずにはいられません。当日は午前中からのスイーツコンテストの審査委員長、そして午後からのトークショー、パネルトーク、コンクール表彰式と仕事が続くのですが、イベント前の早朝から市の方々にお願いをして果物畑を回ってもらいました。地方でイベントなどがある際は可能な限り地元の農協や観光協会の方々にいつもお願いをして果物畑に連れて行ってもらいます。その方が自分で一軒一軒アポをとってバスやタクシーで回るよりも遥かに能率が良くその後の交渉もスムーズにいきます。様々な種類の葡萄や林檎を、木から捥いでたくさん食べさせて頂きましたが、いやはや最高に美味しく勉強にもなりました。もう終わってしまったのですが須坂市のプルーンもずっとミルフィーユに使わせて頂いていました。
須坂市八丁鎧塚古墳
さてさてそんな中、果物畑の真ん中で凄いものを見つけました。「鎧塚古墳!」もう大興奮でした。父から「鎧塚一族のルーツは鎧塚古墳にある。」と聞かされていたからです。もちろん市の方が気を利かせて連れて行って下さったのですが、まさか果物を探してルーツの地に辿りつくとは!。なんでも四世記後半の古墳で六号古墳まであるのですが約二世紀に亘り築かれたそうであります。数々の出土品の中でも獅子の顔も持つ帯金具は特に有名で地元の小布施ワイナリーのラベルにもなっています。一説には三世紀末に高句麗から来た騎馬民族(馬具が多く出土している)の技術者集団がこの地で栄華を誇り古墳を築いたそうであります。はっきりとした事はわからないのですが積石の古墳の技術と規模は当時の物では類を見ない程に立派なもので、高い技術と権力をもった一族の墓であった事は間違いないそうです。父も祖父母ともに亡くなっているので早速、富山県射水市にある本家に問い合わせたところ鎧塚は富山県射水市市井字鎧塚が出身で、今も鎧塚性が多く住むその地の中心に俗に鎧塚古墳と呼ばれる「大塚古墳」がありここがルーツであるとの事でした。調べてみると日本中には他にも十三もの鎧塚古墳がありました。福岡県鞍手町には大和武尊の鎧を祀っている鎧塚古墳というのもあります。鎧塚のルーツを少し調べてみたのですが結局は何もわかりません。須坂にいた騎馬民族が何らかの理由で富山県に移住したのかも知れませんし、全く無関係の物かも知れません。しかし調べていて感じたのですが考古学とは想像ばかり膨らんでゆき結局は謎に包まれているところにロマンと楽しさがあるのでは・・。とても興味深いのでこれからも機会があれば調べようと思っています。
古川先生の名刀と共に
須坂市でのイベントも無事終わり帰途に着く前に市長が気を利かせて下さり素敵な方との面会を実現させて下さいました。刀匠の古川清行様。鎧塚古墳の直ぐご近所にお住まいです。平成21年度日本美術刀剣保存協会会長賞(刀匠・of・the・yearともいえる)を受賞された無形文化財にも指定されていらっしゃる筋金いりの職人であります。いやはや素晴らしい出会いでありました。古川様曰く「日本刀は身を護る物であり、手にした時に攻撃心が湧くものであってはならず、又、その様に打ってはならない」深い言葉に感銘を受けました。私も口にされた方が心安らぐ菓子を作り続けられるよう精進を重ねなければと心引き締まる思いでした。須坂市長三木正夫様、副市長井上忠恵様をはじめ須坂市の皆様、本当にありがとうございました。