バカンス
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バカンス
旅は私にとって一番の楽しみだった。イタリアにはステファンと行ったジェノバの他にもローマ、ベニス。水の都ベニスは夢の町だ。現在は少し朽ちてはいるがそれでも美しく、運河の畔のテラスで栄華を誇った時代を想像しながら傾けるワインは格別だった。イタリアも良かったが何と言ってもスイスの山間部の自然の美しさは訪れた者を虜にする。

ルガノにて

スイスに来て早くも一年が過ぎ二度目の夏がやってきた。憧れていた初めてのバカンスである。休日の初日、早速リュックに荷物を詰め旅に出た。ベルナーオーバーランドのユングフラオやアイガー等の山々に見惚れ、ツェルマットに移動しマッターホルンに感動し、そして氷河特急でサンモリッツへ。サンモリッツでは憧れのヨーロッパ人のゆったりとした時間の過ごし方を堪能した。特にグリンデルワルドやツェルマットは大好きで何度も訪れたがその美しさの衝撃は私の目を突き抜けて心まで揺さぶった。
バカンスが終わっても暇を見つけては旅した。スイスのエンガディナー地方やティチーノ地方、隣の独立国であるリヒテンシュタイン、ドイツの南部等。自然の美しさばかり強調したがもちろん一番の目的は菓子だ。特にその地方の伝統菓子。エンガディナーでは豊富に採れる胡桃と蜂蜜のヌストルテ、ドイツ南西部ではさくらんぼのキルシュトルテ等、伝統菓子のルーツを探る旅は私を夢中にさせた。どの伝統菓子でも、まずその地方の素材ありきである。現地を回って見て改めて素材の大切さを痛感した。こうして各地を旅したがフランスとオーストリアには立ち入らなかった。いずれはフランス、そしてその前にWIEN。という漠然としたプランはこの頃から意識し始めていた。
旅以外の日常の楽しみの一つにプロハンドボールがあった。KADETTENというチームがこの町にあり、週に一度のホームでの試合は必ず見に行った。アイスホッケーもあったがサッカーと人気を二分していたのがこのハンドボールで私はこちらの方が気に入った。
そしてスイス時代で決して忘れてはならないのがNohl夫妻の存在である。Ermatinger氏の紹介で知り合った彼らは言葉もろくに話せない私に本当に親切にして下さった。彼らは月に一回、車で私を食事に連れていって下さった。ドイツのボーデン湖に面したテラスの美しいレストランや中世に建てられた古城レストラン等、決して私だけでは行けない素敵な所に。本当に美しい奥様を称えて「リタ(奥様)はミス・スイスですね。」と言うと、真面目な顔でNohl氏は「いや、リタはミス・ワールドだ!」と答えた。その言葉に「全くその通り!」とお互い微笑んだ。世代的には私の両親ほどのカップルであったがこう言った言葉が最高に似合った。Nohl氏の名は現在Toshi yoroizukaのケーキの名前に残っている。ファーストネームをお借りして「ベルナール」として。他にも私の店の菓子の名前は感謝の気持ちから、お世話になった方の名前をお借りしている。Ermatinger氏の「トビアス」。彼の母、私にとってはスイスの祖母「アンニャ」等である。
もちろんこうやって毎日遊んで暮らしていた訳ではない。相変わらずパンが終わってからケーキ部門を手伝う仕事は続けており、その後も自宅で飴細工の練習も欠かさなかった。バレンタインや母の日そしてスイスの伝統行事の日には出来た飴細工を店に持って行きケーキの上に飾った。そうやって少しずつ欧州の砂糖や水、気候にも馴染んでいった。

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