TOSHIとしてスイスに生まれ
026/071
休日のウィーン
夏のウィーンはオペラ座や主な楽団はシーズンオフになるものの、町全体がコンサート会場になったような盛り上がりをみせる。あちこちの公園でコンサートが開かれ、若手演奏家は町のいたるところで小さな演奏会を開く。
Baden-ヨーゼフ広場
休日にはよくウィーンへでかけた。Baden(バーデン)の中心部ヨーゼフ広場からBadener Bahn(市電)に乗るとウィーンオペラ座前に着く。ゆっくりと回り道をしながらゴトゴトと走るので国電だと急行で20分だが、一時間近くかかる。しかし小さな町の中を走る、おもちゃのようなこの列車で行くのが好きだった。オペラ座に着き左手に劇場を見ながらケルントナー通りを行くと、直ぐ左手にザッハホテルがある。パティシエや菓子好きにとって、ウィーンを語る上では絶対外せない場所である。いざ、ザッハトルテを食べようとザッハホテルのエントランスに向かうと目聡くドアマンが、ホテル利用者かカフェ利用者かを判断し、ホテル内のカフェではなく併設されたザッハトルテ目当ての来客用のカフェに案内される。賛否両論あるが、ホテルのクオリティを守る為にも仕方がないであろう。近くにホテルとしては格上のインペリアルホテルがあり、やはりインペリアルトルテはザッハほどではないが有名である。
アンナミューレのカフェ
ケルントナー通りを真っ直ぐ進むと「Heiner」,「Gerstner」少し入った所に「Oberlaa」等、オーストリアを代表する洋菓子店がひしめく。「今日はどの店の菓子で昼下がりの至福のひと時を過ごそうか?」と考えて歩くうち、正面にシュテファン寺院が現れる。世界で三番目に高い塔とモザイクの美しい屋根が特徴のウィーンのシンボルだ。夏の青空を劈くように伸びるこの塔と、全体のバランスの美しさに心を奪われない者はいないであろう。地下にあるカタコンべには約2000人の頭蓋骨があり、此処も観光地になっているようだがもちろん立ち入った事はない。余程のポリシーを持たないと立ち入る場所ではないだろう。シュテファン寺院を西に向くとグラーベン通りがのびている。まず目に入るのがペスト記念柱だ。ペストの猛威が治まったのを記念して建てられたもので、Badenにもあるがオーストリアでは主だった街には必ずと言っていいほどある。ペスト流行で全滅した街があるほどで、その脅威は現在の我々の想像を絶するものであったろう。
グラーベン通りはまもなく突き当たり、左折すると日本でもお馴染みで自分には無縁の高級ブランド店が立ち並ぶ。それを過ぎると老舗のカフェ「Demel」がある。この店のザッハトルテも有名で、10年間もザッハホテルと裁判で争われた「ザッハトルテ権利争奪戦争」はウィーン子なら誰でも知っている事件である。結局、決着はつかずどちらでも売られているが、私はザッハホテルのものが好きだった。ウィーンは日本と違い洋菓子店というよりもカフェの文化である。基本的に販売だけの店はない。その店でケーキを選んでコーヒーと一緒に楽しむのである。ちなみにコーヒーもウィーンでは、メランジェ、モカ、ブラウナー等、濃さやクリームの入れ方などで名前が付いている。ケーキは前記した店がお勧めだが、カフェでは「Central」がお気に入りだった。重厚感があり伝統を感じさせる。
働いていたアンナミューレを除いて一番感動した洋菓子店は実はウィーンではなくそれはBad Ischl(バート イシュル)いう小さな町にある「Zauner」という菓子店!日本では無名だがオーストリアでは超有名店である。
グラーベン通りはまもなく突き当たり、左折すると日本でもお馴染みで自分には無縁の高級ブランド店が立ち並ぶ。それを過ぎると老舗のカフェ「Demel」がある。この店のザッハトルテも有名で、10年間もザッハホテルと裁判で争われた「ザッハトルテ権利争奪戦争」はウィーン子なら誰でも知っている事件である。結局、決着はつかずどちらでも売られているが、私はザッハホテルのものが好きだった。ウィーンは日本と違い洋菓子店というよりもカフェの文化である。基本的に販売だけの店はない。その店でケーキを選んでコーヒーと一緒に楽しむのである。ちなみにコーヒーもウィーンでは、メランジェ、モカ、ブラウナー等、濃さやクリームの入れ方などで名前が付いている。ケーキは前記した店がお勧めだが、カフェでは「Central」がお気に入りだった。重厚感があり伝統を感じさせる。
働いていたアンナミューレを除いて一番感動した洋菓子店は実はウィーンではなくそれはBad Ischl(バート イシュル)いう小さな町にある「Zauner」という菓子店!日本では無名だがオーストリアでは超有名店である。