渡欧
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渡欧
シャッフハウゼンへ行くことが決まり、神戸ベイシェラトンホテルの退社も5月末日と決定した。最終的に総料理長である里道氏に挨拶に行った時、全く予期せぬものを手渡された。正式なアシスタントシェフ就任の辞令だった。半年程前に前任のアシスタントシェフが退職されてから、まだ正式に辞令は降りていなかった。もちろん私の方も辞令が降りてすぐに退職という訳にはいかないので、辞令が降りる前にとシェフに相談していた訳だ。ところが退職のその日に辞令を降ろして下さったのだ。英文で書かれたその正式なシェラトンホテルのディプロムには当然、総支配人、総料理長のサインが書かれてあった。感激して言葉も出ない私に向かって里道総料理長は言った。
「ヨーロッパでは必ずこれが役に立つ時がくるから持って行きなさい。」
ヨーロッパ経験が長く、ロンドンの名門「SAVOY HOTEL」の料理長を勤めた里道氏には、これからの私の苦労が手に取るように見えていたのだろう。このディプロムがこの後、ヨーロッパで本当に役立った。今となってもこの時の厚意は忘れられない。余談となるが、ヨーロッパではディプロムというものがとても大事になる。事あるごとに提出する。当然、私もそれを大事にする。この後、日本人として初めて三ツ星レストランの「シェフ・パティシエ」というディプロムを手にする訳だ。これは帰国後、日本でも大きく取り上げてもらうことになるが、実は日本でこのディプロムの提示を求められた事は一度もないし、見せたこともない。ひょっとしたら持っていないかもしれませんよ(笑)もう一つ、出発直前に嬉しいニュースが飛び込んできた。当時ドジャースにいた、野茂投手の初勝利だ。野茂投手とは前年、渡欧(渡米)を決断した時期がほぼ同時期だったのだ。私が渡欧を模索していた同じ時期に、野茂投手も日本球団との問題や受け入れチームの問題等で紛糾していた。今でこそ大リーガーで活躍する選手は多いが、その当時は大変な事だった。

私がスイスに決まり、野茂投手がドジャースに決まり、そして一足先に渡米した野茂投手が7戦目にしてようやく初勝利をものにしたのだ。もちろん私は野茂投手とは面識がないし、実力も実績も全く違う。しかし私にとってそれは大きな励ましとなった。私の中の「初勝利」を夢みて。
7月に入り、いよいよ渡欧の日となった。関西空港から飛び立った私は、当分見ないであろう日本の景色に哀愁を感じる余裕もなかった。「何があるかわからない渡欧の夢なので飛行機に乗るまで安心できない。」などと思っていた私だったがとんでもない。いよいよ夢が現実になるという安心感など程遠く、頭の中は次のスイスでの生活と仕事のことで一杯だった。もちろん期待も一杯。そこで少しリラックスにと思い一杯。これが運のつき。ぐっすりと眠りについていた。
目を覚ました時にはヨーロッパ上空まできていた。さすがに眼下には日本と全く違う風景が広がっている。日本では山か海か田畑、人家、町。ところがそこはだだっ広い空間が広がっているだけ。普通の何でもない広っぱ。「でもこんな広っぱ日本で見たことない!」変なことに感心しながらチューリッヒに近づいて行く。そろそろ気合いが入ってきた。顔をパンパン!今風に言うと「高見盛」状態。飛行機はますます高度を下げていき、チューリッヒの空港に無事ランディング。
「さて、スイスで一発!勝負してやるぞ!」  

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