渡欧準備
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渡欧準備
もちろんこの世界に入った時からヨーロッパに対する憧れは強くもっていた。しかし一度沸き上がった思いは、まるで夏の日の夕立雲のように日に日に大きくなっていった。1994年秋、柳橋シェフの許可を得た私は翌年の夏に渡欧する事を決めた。

お店

年が明けて1995年。当時、兵庫県東灘区に住んでいた私に忘れられない事件が起こった。1月17日。出勤しようと準備していた時だ。今まで体験したことのない衝撃に襲われた。それは揺れというよりも爆発に近いようなものだった。後に阪神大震災といわれる大地震だ。その後、2ヶ月は一度も神戸を離れることなくのたうちまわった。特に最初の2日間は人の生死に幾度となく真正面から対面し、乗り越えた事は自分にとって大きな経験となった。何千人もの犠牲者がいるなかで「大きな経験」というのは大変失礼な言葉なのは重々承知の上で、あえてこの言葉を使った。犠牲者の方々の為にも必ず次に生かす覚悟はある。渡欧の際、神戸を離れるとき涙が止まらなかった。おそらくこの震災がなければこれほど神戸に愛着は湧かなかっただろう。

M.Tobias Ermatinger

渡欧を決意した私に助け舟を出して下さったのが「東京ビゴ 藤森社長」だった。帰国後、私の人生(まだまだ未熟者がすみません)を大きく変えて下さった方との初めての出会いは、ある人の紹介で銀座プランタンの地下「ドゥース・フランス」に私が藤森氏を訪ねた時だった。今でも藤森氏との出会いは忘れられない。朝11時に約束をしていたのだが、当日朝まで飲んでいた私はまだ酒が残っており、なんと藤森氏の前で吐いてしまったのだ。前記の通り朝っぱらから銀座のど真ん中で!これは数多い私の失敗談の中でも間違いなくBEST5に入る。藤森氏から私を紹介して下さった方への報告は「実にユニークな人ですね!」

藤森氏の紹介で貿易会社社長にお会いさせていただき、その方の手引きで「トビアスエルマティンガー氏」の日本での講習会の助手を勤めさせていただける事になった。初めてエルマティンガー氏に会う前日は、朝までカプセルホテルの中でフランス語を覚えていた。もちろん今回、お酒は控えて。 講習会は無事順調に終わり、エルマティンガー氏から働く許可も頂いた。エルマティンガー氏は母国語のドイツ語の他、英語、フランス語が堪能で「とにかくこの三ヶ国語のどれかをマスターしなさい」と宿題をもらって、いよいよ本格的に渡欧の準備に入った。今まではフランス語を勉強していたのだが「とにかく早急に一カ国を!」となればやはり英語。急遽、英語に変更した。
「ところでスイスってフランスの隣だったっけ?シャッフハウゼンって何処?スイスって何語?」まだまだこんな状況だった。

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