スペイン
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スペイン
ガウディやゴッホは決して「奇抜なもの、今まで人が作らなかったもの、常に新しい物」にこだわって作品を製作していたのではないと私は思っている。より良き物を作りたい一身で自分自身に対峙して物作りに取り組み、悩み苦しみ貫いた上で到達したのが彼らの作品であると。自分自身も常にそうありたいと願っている。ゴッホ終焉の地Auvers-sur-Oiseの彼が2ヶ月間で約70点もの作品を描き、そして自害した窓もなき小部屋を訪ねた時、「ゴッホが絵画に炎のような情熱を注ぎ込んだように自分も製菓道にここまで突き詰めて考え、打ち込む事が出来るのか?」と私は愕然とし、そして自分を奮い立たせた。

ペインでは、ガウディの作品だけではなく全てが情熱的であった。真夜中にダンサーが体力と気力の限界に到達した際の恍惚のフラメンコは今までに遭遇した事のない舞であった。スペイン特有の闘牛も私の価値観を変えた。スイスのエルマティンガー氏がフランスの私を訪ねて来て下さった際、私が 「スペインの闘牛は絶対に見ない。生きる為なら仕方がないが娯楽の為に生き物を殺めるショーは絶対に許せない!」と言うと彼は
「殺してしまわないで、まだ生きている魚の頭をわざと残して新鮮さを売りに食べる日本の活け作りは残酷で許せないというスイス人も多くいるが私は日本人が残酷な人種だとは思わない。それは文化の違いだ。TOSHIもスペインに行くならまずは一度闘牛を見たほうが良い。」その言葉は妙に説得力があった。彼に言われた通り、闘牛を見に行きそして感動した。闘牛士は最後に牛に敬意を表する事を決して忘れなかった。

スペインはマドリッドとバルセロナの二つの町しか訪れる事は出来なかったがバルセロナは特に気に入った。内陸のスイス、オーストリア、パリと移り済んできたので久々の海の町は刺激的である。山が大好きな私は旅も自然と足が山に向かう事が多かった。山あいの村は何処も静かで、のどかで心を癒してくれたがバルセロナは、活気に満ち溢れていた。魚市場の喧騒は降り注ぐ朝日と共にとても心地よい。当然、新鮮な魚介類が豊富でパエリアやサルスエラなど食べ物もとても美味しかった。
同じ港町でも南仏はやはりスペインと趣きが異なる。マルセイユに着いた私達はレンタカーを借り「さて何処へ行こうか?」という事になった。なんとものどかな旅だ。「折角やから東のニースやカンヌ、モナコのコート・ダジュールへ行こう!」と私が言うと、親友で料理人の鈴木真一が、「トシさん、あそこは貧乏人が安ホテルを探して行くようなところじゃないですよ。いつか成功して金を持った時に一緒に行くとして、それまでの楽しみにとっておきましょうよ。」彼らしい意見に最もだと思い、車を西に走らせプロヴァンスの小さな町を巡った。料理人と一緒に旅に出ると視野がグンと広がる。 ある時、市場をぶらついていると彼が面白いものを発見した。「トシさん、見てください大トロですよ!」なるほど魚屋の店先に無造作に置かれているそれは言われてみれば紛れも無い大トロである。南仏では大トロでも別段値が張る訳では無い。もちろん大量に買って急遽大トロパーティである。彼の腕前は天下一品であるが、この時ばかりは話が別。本当に久しぶりの大トロ、フランス料理風にソテーにでもされたら堪んない!
「刺身にして、少~しわさびを付けて醤油で食べる!」私は止める彼を振り切って醤油を買いに走った。

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