047/071
パリからのTGV(タリスと呼ばれる)は全てブルッセル南駅に着く。メトロに乗り換えてSimonisで降りBruneauへと向かった。その辺り一体はパリのような華やかさは無く閑静な住宅街といった趣で、貰っていた地図を頼りに8分程で着いた。真っ赤な絨毯が引き詰められたレストランの前に佇むとさすがに身の引き締まる思いがする。外観は想像していたより遥かにモダンである。いつも単独で見ず知らずの国を亘り歩いて来た私にとってパリと同じフランス語圏である事、そして今回は親友の鈴木氏が待っていてくれる事で少しは精神的に楽ではあったが初めてのレストラン勤務である。菓子屋でのキャリアは既に10年はあるがレストランは初体験である。それも三ツ星!。

荷造り

こんな時こそ、ひるんではいけない。自分にも相手にも驚くほどの大声で挨拶をしながら、レストランの勝手口から中に押し進んでいった。鈴木氏が予定通り待ってくれており、Chefジャンピエール・ブリュノウ氏に紹介してくれた。かなりの暴れん坊Chefという噂は聞いて覚悟はしていたのだが意外と柔和な感じである。しかしこんな事で油断をする私では無い。きっと仕事が始まれば鬼と化す事であろうChefに最初が肝心とばかりに大声で堂々と挨拶をした。もっとも6年目、そしてフランス語圏では三年目にはなるが語学の方は全く胸をはれる状態では無かった。レストランは昼の営業が終わり、しばしの休憩時間に入る直前だった。スタッフ一同に挨拶を済ますと寮に向かった。寮は店から徒歩で10分弱の所にあり、奥は車の大好きなブリュノウ氏の駐車場となっていてポルシェなど三台の愛車が収められていた。その手前の二部屋が寮として、若手が(私も含め)4名暮らしていた。その一部屋にわたし用のベッドが一つ置かれており、もう一部屋にベッドが三つ置かれていた。「十代の料理人とトシさんを同格に扱う訳にはいかない」これが鈴木氏の言い分で、彼が同僚を納得させたらしい。私は別に同部屋でも良いと思ったが彼は譲らず結局、後に労働ビザを所得して引越しするまでの半年間これが守られた。部屋で荷物を片付けると近くのスーパーへ日用品の買出しに出かけた。二つの部屋に共同のキッチンそして共同のバスルーム。野郎4人の生活にしては随分綺麗だと思ったが私が来る前に鈴木氏が先頭に立って大掃除させたらしい。その夜は4名でささやかな歓迎会を催してくれた。ささやかと言っても私以外全員が料理人である。料理とワインはさすがと唸った。料理人にとって毎日のまかないも大切な勉強である。そういった事をこの後ブルュセルで随分と学んだ。深夜零時ごろ仕事を終わって寮に帰るのだが個々で料理を作る事はせず順番で当番を決めて皆の分を作った。お互い同僚と言えどもライバルである。「店以上に力が入っているのでは」と感じる事もしばしば。私は最初のうちは作らなかったが申し訳ないので暫くするとローテーション入りした。もっとも私の担当の時はほとんどパスタであったが・・・。

ヨーロッパでの列車内

実は鈴木氏とは以前にも何度かパリで同棲していた事がある。彼の腕は超一流であったがその分こだわりも凄まじく、フランスで仕事に溢れる事もあった。そんな時「トシさん暫く厄介になっていい?」と転がり込んでくる。ところが「居候なんだから料理くらい作らせてよ。」と毎晩、腕を揮ってくれるのだがこれが半端じゃない。その辺りのビストロよりもずっと美味かった。彼は私の受け入れの為、今回ブリュノウに残ってくれたのだが翌々日にはフランスの他店に移る事になっていた。彼には異業種だと思っていた親友の私と同じ職場で働くのはどうも照れくさいようだった。もっとも同じ店に長くいる性質の私と違い彼は、ヨーロッパでは色んな店を渡り歩き研鑽を積んでいた。翌日の朝から三ツ星レストラン初出勤だというのに久々の再会に遅くまでワイングラスを傾けた。

Sponsor