ブリュセル
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ブリュセル
中世の街並みがそのまま残るシャッフハウゼン(スイス)。500年もの間ハプスブルグ家の栄華を誇った「音楽の都ウィーン」。そしてなんと言っても人を魅了して止まない「花の都パリ」。それでは新しい拠点となったブリュセルはどうか?「住めば都ブリュセル」なのである。かのヴィクトル・ユーゴーが「世界一美しい広場」と称えたグランプラスは確かに美しい。

噴水

町の中心にあるブリュセル・セントラル駅から大通りを少し北西へ進み路地を曲がると古い街並みが広がってくる。その先すぐがグランプラスである。長方形の広場のメインは何と言っても市庁舎である。ゴシック様式の建物は昼間も良いがライトアップされた夜の美しさは格別である。向かいには「王の家」東側には「ブラバン公爵の館」があり15世紀から17世紀に建てられた建物は荘厳で美しい。建物自体も素晴らしいが広場との絶妙なバランスがベルギーらしく好きであった。そのすぐ北側にはいつも観光客で賑わっているイロ・サクレ地区がある。ぶらぶら散歩するには楽しいが食事は控えた方が無難であろう。どの街でも言える事であるが「客引き」している店は駄目と思って間違いないであろう。この近くの大通りにあるレトロなカフェは一番のお気に入りで足繁く通った。この店の赤砂糖を使ったあつあつのタルト・シュクルにバニラアイスをのせて、ミントティーと共に楽しむのが休日の楽しみの一つであった。ご機嫌なGelerieの中にあるカフェMokafe、グランプラスの近くにある老舗Dan Doyもお気に入りの店の一つであった。
レストランにて-ハンガリー

レストランにて-ハンガリー

ブリュセルの名所の一つに小便小僧というのがある。欠かせない観光ポイントであるが世界三大ガッカリと呼ばれているそうだ。「小便小僧」にシンガポールの「マーライオン」コペンハーゲンの「人魚姫の像」らしい。確かにブリュセルにいるからスーパースターであるがパリにいれば誰も見向きもしない存在であろう。でも私は想像より小さいこの像がなんとなく好きであった。日本からお客様が来た場合、パリであれば2~3日は何の苦も無く観光案内が出来たがブリュセルだとグランプラス界隈と小便小僧を見れば後は「どうしょう?」となる。ところがこれがパティシエとなれば別だ。
私がベルギーに入る頃、「ベルギーのパティスリーは熱い!」とパリでは評判であった。ピエール・マルコリーニやオ・フロン・ブルトン、ヴァンデンダー、マイユなど綺羅星の如く勢いのあるシェフがメキメキと頭角を現していた。このころのブリュセルのレベルはパリを凌いでいたと思う。全体的にはパリの黄金時代は長いが時としてこの様な現象が起こる事はある。前回はヴィタメールやドゥバイヨールが席巻した時代である。しかしベルギーの場合パリに比べると購買力や世界からの注目度が弱い。その為、脚光を浴びたシェフは引き抜かれて活躍の場を他国に移す場合が多い。イギリスやフランス、アメリカ、アジアなどに。一時期、日本で活躍していたフレデリック・スケルター氏なども丁度この頃オ・フロン・ブルトンのChefであった。当時この店のショーケースは圧巻で光り輝いていた。
ベルギー時代の恩人で忘れてはならないのが佐々木靖氏である。おそらくベルギーで働いたり、コンクールで彼の地へ行ったパティシエなら誰もがお世話になっている事であろう。高校時代に父親の仕事でブリュセルに渡った彼は、父親の転居後もこの地に残りパティシエとなり大活躍していた。結婚をして郊外の見晴らしの良いマンションに住んでいた彼の家に頻繁にお邪魔しては奥様の手料理を御馳走になった。年齢は私より随分下だが、当時パリの青木貞治氏と並びブルュセルの佐々木氏は双璧であり目標であった。青木氏が一足先に出店して時の人となった。マイユで働いていた佐々木氏が独立したのは昨年('08)の事でこれからが大いに楽しみである。腕はもちろんであるが人の良さも抜群である。

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