TOSHIとしてスイスに生まれ
060/071
美味しさの追求
ベルギーで労働ビザの目途がたち、住まいも決まるといよいよBruneauのデザート改革に乗り出した。もちろん三ツ星レストランに学ぶ点は多く、学ぶ点はしっかりと学び改善する点はどんどん一新していった。まずは手始めにコース料理のデザートを月変わりとして毎月新しい物を出していった。月変わりといえども親父の許可は中々下りず一皿決まればすぐ次の皿の製作に移らねば間に合わなかった。まずは自分の中で決め親父に試食してもらうのだが平均して4~5回は駄目だしが出た。しかし結局2年半のBruneau生活でたったの一度も自分自身納得出来ない駄目だしは無かった。
シャンパンと苺のdessert
ある日の事、十八番のトリュフアイスに苦心の作「アボガドソース」を添えた。親父は言った。「アボガトでないといけないのか?」この一言で私は全てを悟り「すみませんでした。」と退室した。こんな事もあった。少し色目に乏しいと感じた私はフランボワーズソースを少しだけアーティスティクに捲いた。「このフランボワーズソースは味的に必要なのか?」その時も親父のこの一言に私は謝罪して直ぐ部屋をでた。私の料理観と親父の料理観は僭越ながらとても似ていた。もちろん親父に影響を受けた部分は多いが根本的に似ていた。駄目だしは自分自身を否定される事ではなく、いつもぐらついた自分自身の背筋をピシャリと正される鞭となった。知らずのうちに我を忘れかけている自分の前に黙って等身大の鏡を向けられ一言「どうなんだ?」と問われている。親父の駄目だしはいつもそんな感じであった。私は「ではどうしたらよいですか?」とは決して問わなかったし親父も「ここの処はこうしなさい」とは言わなかった。スペシャリテであったグラス・トリュフは前年は濃厚な卵黄を多く入れたアングレーズソースとあわせていた。トリュフと卵の相性は抜群である。今回はそうではなく何かひねってみたくなったのである。新しい事に挑戦するのは決して悪い事ではない。とことん美味しさを追求していって、それが結果として新しい発見であったり斬新なものであるならそれは良い。しかし斬新さや形(美的)を重視した料理(デザート)は何処かに無理がでる。余談になるが帰国後、「とにかく美味しいデザートを食べて頂きたい」という願いから試行錯誤した結果「a la minute(作りたて)」に辿りつきそしてカウンターとなった。「カウンターデザート」という新しい境地を開いた様に言われる事があるが、新しい事をやりたいという願望があった訳では無く。「美味しさを追求したらカウンターになった。」それが結果的にたまたま新しい事であったようだ。
フォンダンショコラ
ある日親父の親友のパティシエ、ヴァンデンダー氏のバースディケーキを作る事になった。ヴァンデンダー氏は世界的に有名なパティシエである。私は夕方の休憩時間を返上して一人厨房で仕上げを行っていた。気がつくといつのまに来たのか親父が一人じっと眺めていた。最後の飴細工を付ける段階になって少し迷った。最上部に華やかに付けるか、少し下目につけて最上部は空間をシンプルに生かすかである。私はじっと見ている親父への社交辞令の意味合いも恥ずかしながら少々あったのだろう。「どちらがいいですか?」と問うた。親父は言った。「ピエス(飾り菓子)の才能は私より君のほうがある。君が決めなさい。」耳を疑った。おそらくBruneau氏を知る人は「これは作り話だ!。」と言うであろう。自分の料理には絶対の自信を持ち、妥協する事を嫌い頑固でワンマンで暴れん坊のChefである。料理には絶対の自信を持つが不得手な面は素直に認め人を立てる潔さに改めて親父を尊敬した。ただし、仮に私が料理人であったならばこうはいかなかったであろう。私がパテシィエであったからこそ親父は気を許してくれたのであろう。