TOSHIとしてスイスに生まれ
062/071
ベルギーの年末
レストランでの初めてのノエル。どんなデザートにしようかとワクワクしながら考えた。ヨーロッパではブッシュ・ド・ノエルという薪の形をしたものが一番ポピュラーである。それを皆で切り分けて食べる。大きな物を皆で分かちあって食べるという事自体が古来より大切な儀式である。
好評を博したショコラのブッシュ・ド・ノエル
それならばデザート風にそれも迫力をだして巨大なブッシュ・ド・ノエルを出そうと決めた。30cmの皿が横に三枚のせられる一番大きなサービス用のプラッターにブッシュ型の超横長のチョコレートムースをのせた。お客様に好みの長さを聞いて目の前でカットするのである。もちろんそのままではDessertである意味がない。5種類のソースと5種類のアイスを用意してお客様に自由にチョイスしてもらい、切り分けたブッシュをDessert風に仕立てるのである。我ながら良いアイデアと思いサービスに説明したところ「手間だよ」と反対されるかと思いきや賛成してくれた。盛り上がる私達をしり目にジョン・フランソワがぼそりと言った。
「ノエルはお客様ほとんどこないよ」まさか?そんな事はないだろう!ノエルはレストランにとって一番大きなイベントのはず。大忙しに違いない。蓋を開ければ彼の言う通りであった。客席には観光客がぱらぱらといるだけである。常連さん達は皆、行きつけの菓子屋で買ったブッシュ・ド・ノエルを手に早々と帰宅したようだ。ノエルは家族全員で自宅で過ごすのがベルギーなのである。菓子職人になって初めて暇なクリスマスイブを迎えた。親父やスタッフの間ではとても評判が良かったこのブッシュ。翌年には何故かたくさんの予約が入った。なぜお客様に私のブッシュが広まったのかは今もって不明である。
ノエルは肩透かしをくらったが新年はその分盛り上がった。サロンは満席である。スタートは8時頃からと普通であったが進行がいつになく遅い。Chefから連絡が入り零時10分前から料理はSTOPするとの事。この時点でデザートはまだ10人分も出ていない。
「ノエルはお客様ほとんどこないよ」まさか?そんな事はないだろう!ノエルはレストランにとって一番大きなイベントのはず。大忙しに違いない。蓋を開ければ彼の言う通りであった。客席には観光客がぱらぱらといるだけである。常連さん達は皆、行きつけの菓子屋で買ったブッシュ・ド・ノエルを手に早々と帰宅したようだ。ノエルは家族全員で自宅で過ごすのがベルギーなのである。菓子職人になって初めて暇なクリスマスイブを迎えた。親父やスタッフの間ではとても評判が良かったこのブッシュ。翌年には何故かたくさんの予約が入った。なぜお客様に私のブッシュが広まったのかは今もって不明である。
ノエルは肩透かしをくらったが新年はその分盛り上がった。サロンは満席である。スタートは8時頃からと普通であったが進行がいつになく遅い。Chefから連絡が入り零時10分前から料理はSTOPするとの事。この時点でデザートはまだ10人分も出ていない。
アイスクリームのブッシュ・ド・ノエル
新年直前にカウントダウンが始まり、新年と同時に「Bonne annee!(ボナネ)」と乾杯とBise(頬づけ)の嵐になった。常連のお客様は厨房になだれ込み、私達もお客様から振る舞われたシャンパンで一団となり乾杯し抱き合いヒートアップしていく。一通りの嵐が済むとお客様は席にもどり、私の出番Dessertタイムとなった。私はこの「新年明けましておめでとう」にあたる「ボナネ!」と言う響きが大好きであった。希望に満ち、温かみがあり、そしてどこかコミカルな響きが大好きである。ワルツに酔いしれたウィーン、そして2000年のエッフェル塔から打ち上げられた花火はミレニアム最高のイベントと感激した。そして仕事をしながら「何て幸せなんだろう」と実感したベルギーでの新年であった。
新年のDessertはガレット・デ・ロア(VOL37参照)でスタートした。フランス時代はこの頃毎日ガレットを焼き、それが文字通り飛ぶように売れていた。その印象がありレストランでもやってみたかった。ただ単にガレットを出すのはRestaurant Dessertとして面白みが無いと感じたのでDessert風にアレンジした。以前パリで働いていたStohrerのスペシャリテ、ピュイ・ダムールとガレットをミックスした様なスタイルにした。テーブルに一人の割合でDessertの中にフェーブを入れお客様の前まで運び、皿をお客様に選んで頂くのである。これは我ながら良いアイデアだと思ったが、結果は不評であった。Dessert Galette des roisと謳ったがお客様からは「これはガレット・デ・ロアではない!」という声が起こった。その国の伝統や慣習に異国人がアレンジを加えるにはその国の分化や感情等を十分配慮しなければいけないという事を改めて痛感した。
新年のDessertはガレット・デ・ロア(VOL37参照)でスタートした。フランス時代はこの頃毎日ガレットを焼き、それが文字通り飛ぶように売れていた。その印象がありレストランでもやってみたかった。ただ単にガレットを出すのはRestaurant Dessertとして面白みが無いと感じたのでDessert風にアレンジした。以前パリで働いていたStohrerのスペシャリテ、ピュイ・ダムールとガレットをミックスした様なスタイルにした。テーブルに一人の割合でDessertの中にフェーブを入れお客様の前まで運び、皿をお客様に選んで頂くのである。これは我ながら良いアイデアだと思ったが、結果は不評であった。Dessert Galette des roisと謳ったがお客様からは「これはガレット・デ・ロアではない!」という声が起こった。その国の伝統や慣習に異国人がアレンジを加えるにはその国の分化や感情等を十分配慮しなければいけないという事を改めて痛感した。