TOSHIとしてスイスに生まれ
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ビザ
シャッハウゼンの生活は快適そのものだった。戸惑ったドイツ語も少しずつコミュニケーションが取れるようになり、毎日Maja(エルマティンガー夫人)やアンニャに話しかけるようにした。Majaは元教師だったこともあり、まるで3歳の子供に言葉を教えるように優しく教えてくれた。新しいフレーズを必ず一日一つは覚えるようにしてそれを話すと特に喜んでくれ、褒めてくれた。僕もまるで子供のようにそれが嬉しくてまた覚えた。
3週間ほど経ち、スタッフ、そしてエルマティンガーファミリーとも仲良くなり、もちろん仕事も順調にゆきスイスと店に馴染み始めたある日、エルマティンガー氏に事務所に呼ばれた。「また、どこかに連れて行ってくれるのかな?」と軽い気持ちで聞いた内容は、まるで自分の耳を疑うものだった。その内容とは「TOSHIの労働ビザを所得する事は不可能だし、私は社会的地位のある人間なので不法労働者を雇うわけにはいかない。観光ビザの切れる三ヶ月間は居てもいいが、その後は日本へ帰国して欲しい。」というものだった。半年後には彼の言っていた意味がはっきりと理解できた。これは紛れもない事実である。企業から派遣されて行かれたビジネスマンの方には理解できないであろうが、Patissierにはビザは下りない。いやPatissierというよりも通常、大企業などで日本人が必要な場合、もしくは和食や寿司の職人等、日本独特の技術者。日本語の先生など。どうしても日本人でなければならない場合を除いて労働ビザは下りない。(学生ビザは全く別)これはスイスだけでなくEU諸国、アメリカ、そして日本などもそうである。だが、私はそんな事は全く知らなかった。現にこの店にはスリランカ人が働いていたし、町には日本人は全くいなかったがアジア人の姿はよく見かけた。こういった国の人達は国同士の条約があり、働く事は可能なのだがもちろんこれも後で知った事。しかしこの時は全く知らない事が幸いした。いくら私でも事情を理解できたら、こんなごり押しは出来なかった。
私の返答はもちろん「Nein(n o)!」である。「まだ私の頑張りが不十分なんだ。」勝手に理解した私は「帰らない!もっと頑張る!」の一点張りである。困った彼の答えは「一ヶ月後にまた話し合おう。」というものだった。一ヶ月間、精一杯頑張った。スタッフとは絆を深め、相変わらずエルマティンガーファミリーは私にとても親切で「今度こそ大丈夫だ。」と自信を深め2回目の話し合いに臨んだ。その内容は「ビザの切れる三ヶ月で一旦帰国して、また戻って来たらウインタートゥーアという町にあるVollenweiderという有名店で三ヶ月間働けるよう交渉するのでそれで納得してほしい。」というものだった。私の答えは「Nein(no)。この店で働く!」またしても彼は困ってしまった。本当にいまから考えれば強引だが、こちらも必死だ。自慢話にとられるかもしれないが、この先にも後にもケツを割ったり、ケンカしたり、人や店の方針に合わなかったりで辞めた事もなければ退職を勧められた事も一度もない。不器用で「Patissierに向いてない。」とはよく言われたが(笑)私は言った。「ショーケースの一部を私に貸して下さい。実力を試させて下さい。」彼は驚きながらもOKしてくれた。「よっしゃ~。なんとしても結果を出してシェフや皆に認めてもらうぞ!」闘志が湧いてきた。