オリジナルケーキ
009/071
オリジナルケーキ
次の日、通常の仕事が終わったあと早速オリジナルのケーキ制作に取り掛かった。
この店ではショコラ・焼き菓子はとても充実しているが、華やかなムース系のケーキが無いことを感じていた私が最初に取り組んだのはムース・オ・オランジュ。15cmのセルクルの周りに日本で当時、流行りつつあったカラフルな模様入りのビスキュイ・ジョコンド(アーモンド風味の薄い生地)を敷き、中には二層のムースを流した。
下部がミルクチョコ、上部がオレンジのムース。日本との材料の違いに不安はあったが問題なく上手く作れた。パータシュクレ(クッキー生地)を仕込んで15cmの円形に伸ばして、この日の作業は終えた。ステファンが途中、何度も見に来てはムースをなめて「美味しい!」と連呼してくれたおかげで徐々に自信が湧いてきた。翌日の朝に昨日伸ばしたパート・シュクレを焼き、冷ましてムースの下に敷いた。そして仕上げの作業に取り掛かった。まずはムースの上に敷くオレンジのジュレを流して光沢をだして、飾りつけは季節のフルーツをお洒落に盛り付け表面にナパージュを塗って艶をだし、ようやく完成した。
周りで見ていた若いパティシエ達は絶賛してくれた。まだ見習いのシーナが何台作ったのかと訪ねてきたので「5台。」と答えると、「5台なんて直ぐに売り切れてしまうからもっと作らなきゃ」と真顔で心配してくれている。エルマティンガー氏に見せると、嬉しそうに「Schon(美味しい)!」と急いで5台のケーキを受け取ると早速、店頭に並べた。他のケーキに比べると圧倒的に華やかなそのケーキに販売のスタッフが全員で周りを取り囲んで批評している。どうやら評判は上々である。まずは一安心して職場に戻ったのだが5台のケーキの事が気になって来仕方がない。昼頃になってもう全部売り切れているのではと期待を込めて店に見に行くと、1台売れただけである。「まだまだ時間はある。売れるのはこれから。」と思い直したが結局、売れたのは2台だけであった。「こんなはずはない。」と、この日も仕事が終わってから同じケーキを5台作って次の日店に並べた。今度は売れたのは1台だけ。
その日から苦悩の日々は始まった。「どうして売れないのか?」ヨーロッパでの生き残りをかけたケーキは徐々にエスカレートしていった。幾層ものムースにしたり、上にショコラのデコレーションを載せたり、飴細工で飾ったり、毎日遅くまで厨房に残り新しいケーキ作りに熱中した。同じパティシエ仲間には大好評なのだが相変わらず売れない。
店に頻繁に見に行くと確かにショーウィンドに並んだそのケーキの前を通る人は皆、立ち止まって見ている。中には感嘆の表情を醸し出している人も多い。作業性もコストも無視してとにかく美しいケーキを作る事に夜中まで全力を注ぎ込んでいるのだ。良いケーキが出来ない訳が無い。残ったケーキを皆に食べてもらうと、やはり美味しいと言ってくれる。なぜこんなに注目されていて、口々に皆美味しいと言ってくれるのに売れないのだろう。他の何の変哲もない普通のケーキは飛ぶように売れていくのに。時は止まってはくれない、刻々と帰国の日は近づいてくる。
 そんなある日ふと気がついた事があった。皆、「美しい、奇麗だ。」と褒めてくれるが、「美味しそう。」とは言ってはくれない。それに周りのケーキに比べて値段が高い。「なぜ値段が高いのだろう?」そもそも「私の作っているケーキ、いや、スイスってどうやってお菓子の値段を決めてるの?」初歩的な事だがやっと解決の糸口がみえてきた。

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